世界の茶食紀行

オマーンにおけるカフワ(コーヒー)と茶(シャーイ)の二元性:歴史、社会、食習慣の比較分析

Tags: オマーン, コーヒー文化, 茶文化, 中東, 社会文化, 比較文化, 食習慣

オマーンにおける飲用文化の多層性:カフワとシャーイの並立を読み解く

オマーン・スルタン国は、アラビア半島の南東部に位置し、長い海洋交易の歴史を持つ国です。この地において、飲用文化は単なる生理的欲求を満たす行為に留まらず、社会構造、歴史、そして人々の繋がりを映し出す重要な要素となっています。特に、コーヒー(現地ではカフワ、قهوة)と茶(シャーイ、شاي)は、それぞれ異なる歴史的経路を経て導入され、独自の文化的地位を確立してきました。本稿では、オマーンにおけるカフワとシャーイという二つの主要な飲用文化に焦点を当て、その歴史的変遷、社会構造における役割、および関連する食習慣を比較分析することで、オマーン社会の多層性を探求します。

カフワ:ホスピタリティの象徴と社会統合の媒介

アラビア半島におけるコーヒーの飲用は、イエメンで15世紀頃に始まったとされ、そこからイスラーム世界の各地へと伝播しました。オマーンにおいても、コーヒーは古くから重要な飲み物であり、特にホスピタリティと社会的な交流の中心に位置づけられてきました。

オマーンのカフワは、特徴的なデッラ(دلة)と呼ばれるコーヒーポットで淹れられ、フィンジャール(فنجان)という取っ手のない小さなカップで供されます。イエメンや他の地域と同様に、カルダモン、サフラン、クローブ、ローズウォーターといったスパイスや香料が加えられることが一般的であり、これは単なる飲み物としてではなく、感覚に訴えかける文化的な体験としてのカフワの重要性を示唆しています。

カフワは、家庭における来客のもてなし、ビジネスの交渉、社会的な会合、あるいは単に隣人との会話といった様々な場面で欠かせない存在です。提供される順番や回数には一定の礼儀作法が存在し、これは社会的ヒエラルキーや関係性を示すサインとなり得ます。また、デーツ(ナツメヤシの実)やオマーン伝統の菓子であるハルワ(حلوى)がカフワと共に供されるのが伝統的な食習慣です。甘いデーツや濃厚なハルワは、スパイスが効いたカフワの風味を引き立てるだけでなく、エネルギー源としても機能し、共に食卓を囲むことによる親睦を深める役割を果たします。カフワは、特に男性の集まるマジュリス(مجلس、集会所)において、社会的な結束を強化し、共同体の規範を確認する場としての機能も持ち合わせています。

シャーイ:交易と日常が生んだ普及の飲用

一方、オマーンにおける茶の歴史は、コーヒーに比べると新しいものです。茶は主にインド亜大陸や東アフリカ、あるいはペルシャ湾を挟んだイランなどとの長年の交易活動を通じてオマーンにもたらされたと考えられます。特に、19世紀後半から20世紀にかけて大英帝国の影響力が拡大し、インドや東アフリカにおける紅茶生産が盛んになるにつれて、オマーンへの茶の流入量が増加したと考えられます。

オマーンで一般的に飲まれるシャーイは、濃く煮出した紅茶に大量の砂糖を加えた甘いものです。ミルクを加えるスタイル(シャーイ・ビ・ハリブ、شاي بحليب)も広く普及しており、これは特にインド亜大陸のチャイ文化の影響がうかがえます。

カフワが儀礼的、社会的なフォーマルな場での飲用が中心であるのに対し、シャーイはより日常的でカジュアルな飲み物として定着しています。家庭での普段の飲用はもちろんのこと、街中の小さなカフェ(カフテリア)や労働者が集まる場所で手軽に飲まれています。シャーイは労働の合間の休息や、友人との気兼ねない会話の際に選ばれることが多いようです。カフワのように厳格な作法が求められることは少なく、その手軽さから社会のあらゆる階層に普及しました。シャーイと共に供される食習慣も、伝統的な菓子に加えて、ビスケット、ケーキ、パンといったより現代的あるいは国際的な軽食が見られます。

カフワとシャーイの二元性とその背景

オマーンにおけるカフワとシャーイの共存は、興味深い二元性を示しています。カフワは古くから存在し、アラビア半島の伝統文化と深く結びついており、ホスピタリティ、儀礼、社会的な地位といった側面を強調する飲み物です。それは過去からの連続性、共同体内の結束、そして文化的なアイデンティティの核となる要素です。関連する食習慣も、デーツやハルワといった地域固有の伝統的なものが中心です。

対照的に、シャーイは比較的後から導入され、グローバルな交易や文化交流の影響を強く受けています。その飲用はより日常的、個人的、あるいは非公式な場面が多く、社会的な機能としては、休息、手軽な交流、あるいは単に喉の渇きを癒すといった側面に重きが置かれています。関連する食習慣も、多様な軽食を含んでおり、これは現代社会における食の多様化や国際化を反映しているとも言えます。

この二元性は、オマーンの歴史における異なる時代の層、すなわち古来のアラビア文化に根差した伝統と、海洋国家としての交易を通じた外部文化(特にインド洋世界やヨーロッパ)からの影響の融合を映し出しています。カフワが内向きな共同体や伝統を象徴する一方で、シャーイは外向きな交流や現代性、あるいはより広い社会階層への普及を象徴していると解釈することも可能でしょう。

結論

オマーンにおけるカフワとシャーイは、単なる嗜好品ではなく、それぞれが独自の歴史的背景、社会的機能、そして関連する食習慣を持つ重要な文化的要素です。カフワはホスピタリティと社会統合の象徴として伝統的な社会構造の中で重要な役割を果たし、一方シャーイは交易によってもたらされ、より日常的かつ手軽な飲み物として広く普及しました。この二つの飲用文化が並存し、異なる文脈で使い分けられている事実は、オマーン社会が多様な歴史的・文化的影響を受け入れつつ、独自のアイデンティティを形成してきた過程を示唆しています。現代社会においても、両者はそれぞれの場において重要な役割を担っており、その共存はオマーンの豊かな文化的多層性を理解する上で興味深い手がかりを提供しています。今後の研究においては、地域ごとのカフワとシャーイの飲用習慣の差異や、若年層における飲用文化の変化といった点にも焦点を当てることで、さらに多角的な分析が可能となるでしょう。